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本格的な梅雨入りのシーズンになりました。
雨に濡れた木々は濃い緑、淡い緑、中間の緑がより鮮明に目に映り、アジサイの紫、濃紺、白、ピンクがグリーンのカーテンによく映えて、瑞々しさから、若返りの元気をもらえそうな気配を感じます。
花屋を始める事になったのですが、仕入れは100%兄に頼り切っていましたので「自分で花屋で生きてゆく」という自覚は乏しく、今から思うと大変家族には迷惑をかけていたことになるんですが、毎日のように売り上げをもって、悪がき連中と夜の世界へと。また、お客様の中に三味線のお師匠さんやお弟子さんに芸子上がりの人たちに誘われ、1年程三味線のお稽古にも通ておりました。 しかし、この時結婚する事になると思われる、女性に出会い、結婚後一念発起名古屋に花屋の修行らしきことをしに、名古屋の港区築港の花屋さんに住み込みで働くことになります。 休みは一か月に一回3食付、給料は7000円ぐらいだったように思います。 愉しみは、そこのおやじさんに連れられて、月一回ぐらい庄内川の支流に網を張って、川下から音を立てて網に向かって追い込み魚をとり、同じくらいの従業員4,5名とワイワイガヤガヤ。
2,3年経つと家内の親戚より、高槻で市場の中でに花屋さんお空き店舗があるのでやってみないかという事になり、1968年頃に、高槻に引越してきました。
1年目は、家内に店をまかせて、わたくしは、アルバイトをしながら生計を立てていました。
2年目ぐらいから、鉢物、生け花用の壺、水盤などは自分で仕入れ、毎晩夜遅くまで毎日開店初日の心構えで、自分の納得のいくように、商品を陳列していました。12時を回るのが日常の生活。
園芸用の薬剤もお客様の要望で取り扱うようになり、病虫害の予防や駆除をお客様から問い合わせがあると、夜、店が終わってから、今と違って本の時代ですから、一つ一つ勉強して、お客様には必ず翌日には答えを返していました。
この繰り返しをすることで、自分自身の勉強にもなり,また、お客様にも信頼を得ることが出来、「農協で聞くより、解り易く教えてもらえるし、的確な答えが聞けるので」という事で、男性のお客様が多く増えました。
そんなことの繰り返しで、売上もどんどん増え、高度成長期の時代でもあり、商売の面白さを知ることになり、夜の睡眠を惜しんで、色々と工夫をしてこの時期に一番勉強した時代です。
5月17日京都南座で「歌舞伎鑑賞教室」があり今まで一度も?(子供のころ母親に連れられて2,3度行ったような記憶がかすかに残っているのですが)行った記憶が無いので少し興味を覚え、行ってきました。
歌舞伎の「基礎知識と愉しみ方」を講談師の旭堂南龍さんの振りを付け、解り易く、明快な語りで解説が初めにありました。
顔に描かれる「隈取」「赤い紅隈」は正義感、血気盛んな若さ、「青い藍隈」は高貴な身分の悪人、国の乗っ取りをたくらむ悪や怨霊、 茶色の「茶隈」は人間に化けた妖怪変化などを表す。 太鼓の打ち方で雪の降り方を表現したり、中でも同じ雪の降り方なのに、関西と関東では太鼓の打ち方が違ったり、大向こうの掛け声のタイミングの難しさなどの解説を受けたうえで、
「妹背山婦女庭訓」より、三輪山伝説を基にした「願絲縁苧環」(ねがいのいとえにしのおだまき)が上演されました。
物語のあらすじと解説を聞きその上で見どころなども前もって、伺ったうえで観賞しているので、恋模様のしぐさ、や華やかな舞踊も生き生きとして目に映り心に溶け込み感動が生れます。
一回目ですが、なんとなく歌舞伎の魅力が感じられたような気がします。
解説も何もなく鑑賞していれば、あまり得るところはなかったように考えます。
少し驚いたのは海外の方が、少なくとも4分の一以上おられたことと日本の方は年配の方ばかりで若い方が皆無だったことが残念でした、
2023年5月30日 西井 忠義