BLOGブログ
お彼岸が過ぎると、早朝は、冬の冷え込みの様に4℃前後になりますが、お昼近くになると17℃以上になり、山の木々街路樹も芽を吹きだしたかなと思っているうちに、初々しい黄緑色の新芽が開きかけているのを見ると、何故か気持ちに張りが出来活力が身体全体に行き渡るのを感じます。
前月の続きですが、中学生のころは、今ほどクラブ活動が活発でなく放課後は何をして過ごしていたか記憶にありません。
1クラスが45名~50名。13クラスもありました。
記憶に残っているのが3年生の時、文化祭の催しで仮想行列をする取り組みがあり、私のクラスは、南極大陸の探検の様子を見せる事に決まり、20人くらいで夜になるまで、そりを作ったり、帽子や防寒具を一生懸命作ったことぐらいしか学校の記憶はありません。
このころの家計は大変貧しく、税金が払えずにタンスなどに税務署の付箋がよく貼られていました。
いわゆる差押えというものだったと思います。その様な時代背景もあり、どこの家庭でも、両親は商売、仕事に一生懸命に働いてくれていたこともあり、あまりかまってもらえなかった時代だったように思います。
寂しさを紛らわすのに家の裏の小屋根に1m四方高さ1.3m位の鳩小屋を作りました。自分で材木を集めチキンネットを張り誰の力も借りずに作り上げました。10匹近く飼っていたように思います。その中には血統書付の鳩もおり良く、広島あたりから鳩を離し自分の厩舎までどれぐらいの時間で返ってくかを競うレースにも出しておりました。
中学校を卒業するころになり、私たちの時代には、まだ中学校を卒業して直ぐに松下電器、任天堂などに就職する人がクラスの中に10人位おりました。
その頃何になりたいという希望もなく、漠然と家業である「花屋」でもするのかな、という程度の考えしかなく、商業高校がある伏見の桃山高校に通うことになりました。
最近の取り組みですが高槻市内の中学生を対象に、この4月2日(日)神峯山寺に於いて座禅・お茶会を開催します。
30名を募集し、43名の応募があり保護差の方27名のたくさんの方が参加して頂けます。
当初中学生は座禅・お茶には興味を示す子は、どなたに伺っても、極端に少ないのではないかと聞いておりましたので、
うれしい誤算です!!
日本文化と行儀作法、自然の中での人との交流という事で校長先生方には、以下のような話をさせて頂きました。
仏教国の日本とキリスト教国の大きな違いは、日本では、人が亡くなると誰でもが仏様になれます。それに対してキリスト教国では、亡くなってもキリストにはなれません。例えば、亡くなられたときに、お花をお供えするときに、仏教では亡くなられた方にお花をお供えするので「お供え」と書きます。キリスト教ですと亡くなられた方にお花を直接供えるのでなくキリストに花を献ずるという形をとりますので「献花」と普通は書きます。このことが日本文化の大きな根柢の一つと考えられています。
茶道では、打ち水をしたりして出迎えたり、詳しいことはよく知りませんが、中学生が学ぶことですので玄関での履物の脱ぎ履きをどの様にするか?お箸の扱い方? によって相手の方に不快感を与えないようにすること、きれいに見せる所作を身に付ける事が「おもてなしの日本文化」に繋がると考えます。
7,8年前にフランスの留学生を預かったことがあります。その子は初日の、初めて私の玄関で家に上がる時、お尻を斜め後ろ誰もいない方向に向けて、自分の脱いだ靴をきちっと隅の方に揃えて置いたのには、びっくりしました。
お箸も、割箸などをよく使います。お箸を袋から出してよく見かけるのは、食べ物の上で割る光景を見ますが、割りかすが落ちるかもわかりません。あまり下で割るとごそごそ何をしているのか?という感じになります。
一般的には、御膳やテーブルと同じ高さで割ると美しく見える所作とされています。
又、食べ終わった後の割箸の処理ですが、お箸は食べている時は、自分の神経が通っていて食べ物をつまんでいるので、
終わると、箸袋に戻して箸袋の先を折りたたむ、食事が終わりましたという合図にもなります。箸に通っていた神経を断ち切ることになります。 とこのような事を話させて頂きました。
2023年3月28日 西井 忠義